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最高裁判所第三小法廷 昭和49年(あ)2786号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人西村諒一の上告趣意について

所論にかんがみ職権をもつて調査すると、原判決には、以下の理由により、判決に影響を及ぼすべき法令違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

一原判決は、被告人の本件行為は自己の権利を防衛するためにしたものとは認められないから、第一審判決がこれを過剰防衛行為にあたるとしたのは事実誤認であるとして、第一審判決を破棄し、自ら次の事実を認定判示した。

被告人は、昭和四八年七月九日午後七時四五分ころ、友人の鈴木芳郎とともに、愛知県西尾市寺津町五ノ割一の五付近を乗用車で走行中、たまたま同所で花火に興じていた遠山保命(当時三四年)、金沢博司、佐藤宏之らのうちの一名を友人と人違いして声を掛けたことから、右遠山ら三名に、「人違いをしてすみませんですむと思うか。」、「海に放り込んでやろうか。」などと因縁をつけられ、そのあげく酒肴を強要されて同県幡豆郡吉良町の飲食店「仁吉」で遠山らに酒肴を馳走した後、同日午後一〇時過ぎころ、右鈴木の運転する乗用車で遠山らを西尾市寺津町観音東一八番地宮地虎雄方付近まで送り届けた。ところが、下車すると、遠山らは、一せいに右鈴木に飛びかかり、無抵抗の同人に対し、顔面、腹部等を殴る、蹴るの暴行を執拗に加えたため、被告人は、このまま放置しておけば、右鈴木の生命が危いと思い、同人を助け出そうとして、同所から約一三〇メートル離れた同市巨海町佐円一〇番地の自宅に駆け戻り、実弟筒井賢二所有の散弾銃に実包四発を装てんし、安全装置をはずしたうえ、予備実包一発をワイシヤツの胸ポケツトに入れ、銃を抱えて再び前記宮地前方付近に駆ま戻つた。しかしながら、鈴木も遠山らも見当たらなかつたため、鈴木は既にどこかにら致されたものと考え、同所付近を探索中、同所から約三〇メートル離れた同市寺津町観音東一番地付近路上において、遠山の妻実子を認めたので、鈴木の所在を聞き出そうとして同女の腕を引つ張つたところ、同女が叫び声をあげ、これを聞いて駆けつけた遠山が「このやろう。殺してやる。」などといつて被告人を追いかけてきた。そこで、被告人は、「近寄るな。」などと叫びながら西方へ約11.2メートル逃げたが、同所二番地付近路上で、遠山に追いつかれそうに感じ、遠山が死亡するかも知れないことを認識しながら、あえて、右散弾銃を腰付近に構え、振り向きざま、約5.2メートルに接近した遠山に向けて一発発砲し、散弾を同人の左股部付近に命中させたが、加療約四か月を要する腹部銃創及び左股部盲管銃創の傷害を負わせたにとどまり、同人を殺害するに至らなかつたものである。

二原判決は、被告人の右行為が自己の権利を防衛するためのものにあたらないと認定した理由として、被告人が銃を発射する直前に遠山から「殺してやる。」といわれて追いかけられた局面に限ると、右行為は防衛行為のようにみえるが、被告人が銃を持ち出して発砲するまでを全体的に考察し、当時の客観的状況を併せ考えると、それは権利を防衛するためにしたものとは到底認められないからであると判示し、その根拠として、(一) 被告人は、遠山らから酒肴の強要を受けたり、帰りの車の中でいやがらせをされたりしたうえ、友人の鈴木が前記宮地方付近で一方的に乱暴をされたため、これを目撃した時点において、憤激するとともに、鈴木を助け出そうとして、遠山らに対し対抗的攻撃の意思を生じたものであり、遠山に追いかけられた時点において、同人の攻撃に対する防禦を目的として急に反撃の意思を生じたものではないと認められること、(二) 右宮地方付近は人家の密集したところであり、時刻もさほど遅くなかつたから、被告人は、鈴木に対する遠山らの行動を見て、大声で騒いだり、近隣の家に飛び込んで救助を求めたり、警察に急報するなど、他に手段、方法をとることができたのであり、とりわけ、帰宅の際は警察に連絡することも容易であつたのに、これらの措置に出ることなく銃を自宅から持ち出していること、(三) 被告人が自宅へ駆け戻つた直後、鈴木は独力で遠山らの手から逃れて近隣の斉藤清一方へ逃げ込んでおり、被告人が銃を携行して宮地方付近へきたときに、事態は平静になつていたにもかかわらず、被告人は、遠山の妻の腕をつかんで引つ張るなどの暴行を加えたあげく、その叫び声を聞いて駆けつけ、素手で立ち向つてきた遠山に対し、銃を発射していること、(四) 被告人は、殺傷力の極めて強い四連発散弾銃を、散弾四発を装てんしたうえ、予備散弾をも所持し、かつ、安全装置をはずして携行していることを指摘している。

三しかしながら、急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛するためにした行為と認められる限り、その行為は、同時に侵害者に対する攻撃的な意思に出たものであつても、正当防衛のためにした行為にあたると判断するのが、相当である。すなわち、防衛に名を借りて侵害者に対し積極的に攻撃を加える行為は、防衛の意思を欠く結果、正当防衛のための行為と認めることはできないが、防衛の意思と攻撃の意思とが併存している場合の行為は、防衛の意思を欠くものではないので、これを正当防衛のための行為と評価することができるからである。

しかるに、原判決は、他人の生命を救うために被告人が銃を持ち出すなどの行為に出たものと認定しながら、侵害者に対する攻撃の意思があつたことを理由として、これを正当防衛のための行為にあたらないと判断し、ひいては被告人の本件行為を正当防衛のためのものにあたらないと評価して、過剰防衛行為にあたるとした第一審判決を破棄したものであつて、刑法三六条の解釈を誤つたものというべきである。

なお、原判決がその判断の根拠として指摘する諸事情のうち、前記(一)、(二)、(四)は、いずれも被告人に攻撃の意思があつたか否か、又は被告人の行為が已むことを得ないものといえるか否か、に関連するにとどまるものであり、また同(三)も、鈴木の所在を聞き出すためにした行為であるというのであるから、右諸事情は、すべて本件行為を正当防衛のための行為と判断することの妨げとなるものではない。

四以上のとおり、原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。よつて、所論に対し判断を示すまでもなく、刑訴法四一一条一号により原判決を破棄し、同法四一三条本文に従い、本件を原審である名古屋高等裁判所に差し戻すこととする。

この判決は、裁判官江里口清雄の補足意見及び裁判官天野武一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官江里口清雄の補足意見は、次のとおりである。

私は、被告人の本件行為が自己の権利防衛のためにしたものとは認められないとした原審の判断は刑法三六条の解釈を誤つたものと考えるが、急迫不正の侵害の点について意見を付加する。

原判決は、検察官の控訴趣意に対する説示において、「被告人が銃を発射する直前に遠山から「殺してやる」といわれ、追いかけられたことが、その局面に限ると、遠山の被告人に対する急迫不正の侵害の如く見えるけれども、本件被告人の行為を、被告人が銃を持ち出してから発砲するまで、全体的に考察し、当時の客観的状況を併せ考えると、それが権利防衛のためにしたものであるとは、到底認められない」と判示して、その理由を詳細に掲げている。右判示の「被告人に対する急迫不正の侵害の如く見えるけれども」の文言が、急迫不正の侵害のように見えるがその存否の点はしばらく措いてという趣旨か、急迫不正の侵害の存在を認定したものかは、措辞適切を欠いて、必ずしも明確ではないが、これに続く部分を併せ判読すれば、後者のように受けとれる。しかし、私は、右遠山の行為を被告人に対する急迫不正の侵害であると断ずることに、ちゆうちよを感ずる。

原判決が認定した事案の概要は、被告人が自宅から銃を携行して友人鈴木の被害現場に駆け戻つたときは、鈴木は、すでに独力で遠山らの手をのがれ、近隣の家に逃げ込んでいて、遠山らの姿も見当たらなかつた。被告人は、鈴木がどこかにら致されたと考え、付近を探索中、同所から約三〇メートル離れた路上で遠山の妻を認め、鈴木の所在を聞き出そうとして同女の腕をつかんで「ちよつとこい。」と引つ張つたところ、同女が悲鳴をあげ、これを聞いて遠山が駆けつけ、「このやろう殺してやる。」などといつて被告人を追いかけてきた。被告人は、「近寄るな。」などと叫びながら約一一メートル逃げたが、追いつかれそうに感じ、遠山が死亡するかも知れないことを認識しながら、あえて銃を腰付近に構え、振り向きざま、約五メートルに接近した遠山に発砲命中させた、といのである。すなわち、被告人が銃を持つて引き返したときには鈴木や遠山らの姿はなく、事態は平静に復し、鈴木に対する急迫不正の侵害は、すでに去つていたのである。被告人の発砲行為はその後にされたもので、鈴木を救出するためのものではない。その直接の誘因は、被告人が遠山の妻の腕をつかんで引つ張つたことにある。

ところで、午後一〇時過ぎの路上で、銃を持つた壮年の男から腕を引つ張られた妻の悲鳴を聞き、その夫が駆けつけ、「このやろう。」などといつて追いかけてくることは、夫として当然の所為ではあるまいか。その際「殺してやる。」といつたことは穏やかではないが、遠山は特に凶器を持つていたわけではない。実弾を装てんし安全装置をはずした銃を持つた被告人が「近寄るな。」などと叫んで一一メートル余り逃げ、遠山がこれを追いかけたからといつて、また当夜それまでの遠山らの無法な行動を考慮にいれても、遠山の右行為を正当防衛の要件である急迫不正の侵害とするには、疑問の余地があるのではあるまいか。本件を全体的に考察するとき、私は、被告人の行為が正当防衛ひいては過剰防衛にあたらないとする原審の結論には、むしろ、賛意を覚えるものである。多数意見は、被告人の本件行為が自己の権利防衛のためにしたものとは認められないとする原審の判断について、法令の解釈を誤つたとするものであつて、急迫不正の侵害などについては、何ら言及していない。いわんや、急迫不正の侵害の存在を是認するものではない。私は、差戻し後の控訴審において、この点についても審理をつくすことを希望するものである。

裁判官天野武一の反対意見は、次のとおりである。

私は、以下の理由により、多数意見に反対し、本件は上告を棄却すべきものと考える。

一 多数意見においては、原判決は、他人(友人鈴木)の生命を救うために被告人が銃を持ち出すなどの行為に出たものと認定しながら、侵害者(遠山)に対する攻撃の意思があることを理由として、これを正当防衛のための行為にあたらないと判断したものである、と解し、原判決が第一審判決の認めた過剰防衛行為を否定する根拠として指摘する「諸事情」は本件行為を正当防衛のための行為と判断することの妨げとなるものではないとの見解のもとに、刑法三六条の解釈を誤つていると論じて、原判決を破棄し原審に差し戻すべきものとするのである。

二 しかしながら、私は、原判決の真意を理解する仕方において多数意見と立場を異にし、原判決は、前記遠山に対する被告人の対抗的攻撃の意思ないし対抗的攻撃意図を強調するの余り、多数意見のいわゆる諸事情の説示に文言の多くを費して判文の内容に解釈の余地を残したことを免れないにしても、本件事案に即してその文意を実質的に検討すれば、その全文を貫く趣旨は、次のように理解してこれを読みとることができるのである。すなわち、

(一) まず、前記友人鈴木に対する関係における急迫不正の侵害は、すでに去つていること。

(二) 遠山の被告人に対する関係では、「殺してやるといわれ、追いかけられた局面に限ると、急迫不正の侵害の如くに見えるけれども、本件被告人の行為を、被告人が銃を持ち出してから発砲するまで、全体的に考察し、当時の客観的状況を併せ考えると、それが権利防衛のためにしたものであるとは、とうてい認められない。」旨の判示部分が示すとおり、原判決は、被告人の発砲行為が急迫不正の侵害に対して行われたものではなく、したがつて、やむことを得ないでしたものではない、と判断しているのであつて、この場合には、防衛意思の存在が否定されることによつて、正当防衛も過剰防衛も成立することはないとの見解に立つていること。

(三) かくして、原判決が「結局、被告人の本件行為には、正当防衛の観念をいれる余地はないといわねばならない。そして被告人の行為が正当防衛行為に該らないとする以上、防衛の程度を超えたかどうかを問題とする過剰防衛行為が成立し得ないことは、いうまでもないところである。」とする結論が、正しい意味をもつことになること。

しかも、この結論は、記録に徴し、原判決の主文とともに肯認するに足るというべきである。

三 思うに、急迫不正の侵害を欠くところに刑法三六条にいう防衛はあり得ない。それゆえ、原判決としては、急迫不正の侵害を欠く場合であることを一層明確に判示しさえすれば必要にして十分であつたのであり、そうであれば、被告人の行為の非防衛性の面をくりかえし強調するまでもなく過剰防衛行為の不成立を説き得たのであつた。しかるに、原判決の文脈は、被告人の行為の攻撃性の解明に重点をおくことをもつてすべてに答え得るものとするかのような印象を与えてしまい、その結果、多数意見をして防衛意思の存否に関する判文の判断に疑念を生ぜしめ、本件に対し破棄差戻しによる審理反覆の措置を執らしめるに至つたものであることに想到せざるを得ない。しかし、私によれば、原判決は、上記のとおり、急迫不正の侵害が欠如する趣旨の判断を含めていわゆる諸事情をくわしく記述しつつ、かかる判文の構成に及んだものと見るほかはないのである。

四 よつて、私は、本件上告は理由がなく、これを棄却すべきものとするのであるが、仮りに急迫不正の侵害に対して本件行為がされたものであるとした場合における防衛意思に関する刑法三六条の解釈については、多数意見の見解にしたがう。

(関根小郷 天野武一 坂本吉勝 江里口清雄 高辻正己)

弁護人西村諒一の上告趣意

原判決は、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められ、判決に影響を及ぼすべき重大なる事実の誤認及び法令適用の誤りがある。

原判決は、「被告人の対抗的攻撃意図は明らかであり、被告人の本件行為は遠山保命の急迫不正の侵害に対する自己の権利防衛のためにしたものではなく、むしろ、遠山らに対する対抗闘争行為の一環としてなされたものであり、その措置も已むことを得ざるに出たものではない」と判断している。

しかし、右結論は第一審判決と真向から対立しているにも拘わらず、殆んど原審では審理らしい事実審理も行なわず、単に第一審での記録にのみ基いて大胆な判断を行なつたものである。

第一審の裁判では、関係者からの供述、態度等も直接、生で受止め、それに基いて心証を形成できるものであつて、原審での書面審理では真実を把握することは比較的困難な事柄であると思う。しかも本件では第一審の事実認定と正反対な事実認定を行なつたのであるから、この点、原審はもつと慎重に自らの事実審理をつくすべきであつたと思われる。

原判決は「罪となる事実」の摘示にあたつては、被告人が発砲に至るまの事情につき、第一審の事実認定を殆んど踏襲しておきながら、結論部分に至るや急に対抗闘争の一環として発砲したものと認定している。しかし、これなど明らかに矛盾した事実認定を行なつているものというべく、先の結論の不当性は明白である。

被告人らは何の落度もない善良な市民であり、たまたま人違いをしたことから一方的に遠山らから因縁をつけられ、揚句の果ては恐喝までされ、更に無抵抗の鈴木は顔面、腹部等に殴る、蹴るの暴行を執拗にまで加えられ、このまゝ放置しておけば鈴木の生命の危険を恐れ、被告人は同人を助け出そうとして自宅にかえり、弟達の応援を求めんとしたところ、弟達も留守であつたので突嗟に銃を持ち出し、これで遠山らを威嚇して鈴木を遠山らの手から救出せんと思い立つたものであつた。

被告人が銃を携行して現場に戻つたが、鈴木らの姿が見当らなかつたため、鈴木はすでに何処かに拉致されているものと思い、鈴木の所在を聞き出そうと偶々現場に居合わせた遠山の妻の腕を引張つたところ、同女が叫び声をあげ、これを聞いた遠山が二、三〇メートル離れたところから、この野郎、殺してやる、といつて追つかけて来たので、被告人はつかまつては殺されると思い、近寄るな、と叫びながら必死にその場を逃れようと懸命に逃げたが、遠山の足がはやく、あわや追いつかれそうになつたため、窮余の策として、走りながら後方に向け威嚇的に発砲したもので、折から闇夜で相手を識別できなかつた事情も加わり、よもや、散弾が相手に命中しようなどとは思いもよらなかつたものであつた。

原審は遠山が死亡するに至るかも知れないことを認識しながら、敢えて銃を振り向きざまに発砲した、と殺意を真正面から肯定しているが、そもそも被告人は遠山をねらつて発砲したものではなく、威嚇的に発砲し、遠山がこれによりひるんだすきに逃げようと計つたとみるのが、事案の諸般の事情からみて極めて自然で素直な解釈であると思料される。

被告人は、鈴木が遠山らにまさに殺されるものと思い込み、ついで、今、自分も遠山につかまり殺されるかも知れないと必死に逃げていたのであつて、この間の被告人の所為を目して、たんに同人に報復ないし攻撃目的があつたとするは余りにも飛躍した見方であり常識的・合理的な説明のできない結論であると考える。

原審は報復攻撃の意図が当初から存在したとしているが、被告人が相手を撃ち殺してやろうと考える必然性がどこにあるのか、どのように説明できうるのであろうか。

被告人の本件での一連の行為をみて、どこにそのような見方をとる理由があるのか、極めて疑問である。唯、被告人の司直に対する供述調書のみを唯一の証拠としてそのような認定を行なつているが捜査段階に於ける被疑者の供述調書というものは、司直の誘導、自白の強要により作成されたものが非常に多く散見され、本件の場合でも長期間の勾留がなされており、被告人の法廷での供述とは著しく相違している。

第一審の法廷では、被告人は極めて自然に詳細に陳述しているのであつて、無理な供述のない真実を伝えているものと確信するものである。しかるに原審は、無反省にまで捜査官の作成にかゝる被告人の供述調書をうのみにし、対抗的攻撃の意図が当初よりあつたとするが、これは重大な事実誤認である。

又、原審は被告人が銃を自宅から持ち出すとき警察に連絡しなかつたことを理由に、持ち出して発射することを正当化すべき程の理由がないとしているが、あるいは正にその通りかも知れない。しかし、それはあくまでも後からの批判であり当時の普通人の心情としては、窮迫下、友人の生命を守らんとする余り、そのような悠長な考えは及びもつかず、銃をかざして相手を威嚇し友達を救出せんとする方向に突走るのは止むを得ない行動であり、許される状況にあつたものと考えるのが一般の心情ではなかろうか。

仮に正当化すべき理由がなかつたとしても、被告人は威嚇し救出の手段として銃を持出したのであり、銃を発射して相手を殺害しようなどとは考えていなかつたものである。それが予期に反し逆に遠山から殺してやるといつて追いかけられるに及んで、捕わると殺されると信じ、あわや捕りそうになつたので恐怖の余り威嚇してその追跡を斥けようとして、走り乍ら後方に向け(相手をねらつたものではない)発砲したところ、運悪く相手方に当つたものである。

遠山が、殺してやる、といつて執拗な追跡を行なわなければ、おそらく発砲という事態は招来しなかつたと推測される。

被告人の立場からすれば、正に「急迫不正の侵害」があつたと判断し、止むなく自己の生命、身体の安全を守るために発砲したものであることは、客観的な事実から明白である。

この点、第一審判決は防衛の程度を超えたものと認定はしているが、被告人の行為が遠山の攻撃から防衛するために出たものとしている点は正鵠を得たものであつた。

仮に原審が正当防衛(過剰防衛)行為の成立を否定することが当を得たものとしても、本件の場合、更に進んで誤想防衛行為の存在の有無をも吟味すべきではなかつたか。

原審は根本的には検察官の「被告人の報復的攻撃の意図の存在は一層明らかであつて、被告人の本件発砲は一連の喧嘩斗争の一行動とみるべきもの」との見解に立つているが、これは事案の真相を故意に曲解し、安易な判決を行なつたものとしか考え得ざるところである。

本件は喧嘩斗争ではない。

遠山らは行きずりの善良な市民であつた被告人らに対し、理由なく脅迫し、終始無抵抗の被告人らに暴行・傷害を与え恐喝をしている。本来なら遠山らこそ司直の手で刑事処分を行なうべきものであるにかゝわらず、偶々、遠山が受傷したことの故に、その犯行を放置するは、司直の公正さに疑いをはさまざるを得ないところである。喧嘩斗争との把え方は、凡そ非常識のそしりを免れ得ない。

検察官は「遠山のいう“殺してやる”云々は単なる酔つ払いの虚勢にすぎない」と、むしろ、遠山を必要以上にかばつた理解を示し、この点、公正さを疑わしめるものである。

又、検察官は控訴審で従来の主張に加えにわかに被告人の報復的攻撃の意図の存在を主張し出したが、これは控訴審での全く新らたな主張である。検察官の第一審での冒頭陳述書をみても、被告人が報復的攻撃の意図で銃を持ち出したものとは主張しておらず、逆に鈴木を救出するため、その手段として銃を持ち出すことを思い立つた趣旨の主張がなされている。而も発砲に際しては、“噴激と恐怖”から発砲行為に出たものとし、検察官の第一審での見解のうちでも恐怖から発砲したことを認めている。

本件発砲前後の諸事情からみて、被告人が遠山に追つかけられ、捕まると殺されるとの恐怖感から威嚇の目的で発砲しこれが偶然、遠山に命中したことは歴然たる事実である。

この点、第一審判決が過剰防衛行為の成立を認めているのを、わざわざこれをしりぞけてまで、被告人に当初より報復、殺意ありとする原審判決は、常軌を逸した誤判である。

よつて、原判決を破棄のうえ、適正な裁判を求めるため、本件上告に及んだ次第である。

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